画家・エドガー・ドガEdgar Degas(1834年7月19日 – 1917年9月27日)と写真活動【印象派の画家と写真におけるボケ、ブレ、アレの歴史】

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1830年代からの実用的な写真技術の発明と普及が始まると、

写真は絵画と異なり、ボケ、ブレ、アレなどは、不完全な間違い=Flou(フランス語)として扱うべきであるという、不思議な文化が生まれました。

20世紀前半ごろまで、特に19世紀は、画家が写真家を兼任したり、画家の勉強をしたものが写真家をやる場合も多かったので、

そうした人たちは、写真も表現の手段であり、絵画のような表現を追求しないのはおかしいと、ブレや、ピントをわざと外すソフトフォーカスなどを表現として用いて、活動し、プロの写真家協会から無視されても、美術館やほかのジャンルの芸術家たちの支援で、実際には有名だった人は19世紀にも珍しくなかった。*英国のほうが、不鮮明な画像しか得られない、写真技術タルボタイプ(カロタイプ)の発明が自国産ということもあり、フランスよりは、ボケ、ソフトフォーカスに寛容だった。ただ、英国のプロ写真家協会も、Julia Margaret Cameronなどのボケブレを敵視して批判を加える状態で、反対にフランスでも、ボケを前面に出して営業していた写真家は、実際にはCharles Nègre(1820 – 1880)など19世紀半ばにもいて活動していた。ただし職業写真家協会からは許さざる行為と無視された

Modèle assis ca.1849 by Charles Nègre

Nu féminin assis sur un lit, de dos by Charles Nègre (1820–1880) 彼は1861年に引退して南フランスに移ったともいわれるので、その前の時期の撮影か?1848年には似たような写真が多い

写真にも絵画的な表現があってしかるべきという、ピクトリアリズム(絵画主義)やSurrialismの動きが1890年ごろから徐々に拡大し、とうとう、ボケやブレ、ソフトフォーカスなど、写真の不完全性とみなされる要素を表現の手段として用いることを堂々掲げるようになった写真館が、一番そうした流れに抵抗してきたフランスでも、1920年代以降は盛んになっていきます。


*狭い意味での、裕福な層が中心の写真ピクトリアリズムは、1920年ごろには衰退するとされますが、ボケやブレなどを使った表現の可能性を追求する流れからすれば、ピクトリアリズムも、1840年代からの流れの、一通過点でしかないし、その後も継続することになる。写真もこのころから小型カメラの普及が始まり、アマチュアが大量に入り込み、以前のような特定の富裕サークルが写真を指導する時代は終わり、何々主義と簡単に分類できるような状態ではなくなる。西洋絵画でも、特にフランスでは国営サロンの審査合格がないと、一人前の画家になりにくかったのが、民営化でサロンの権威が失墜、同時にいろんな作風が一気に出始め、何々派の絵画という区分は言いにくい時代となった


ボケやブレなどの写真での認知は、絵画の文化と密接にかかわってきたため(20世紀中ごろくらいまで、画家として相当な技能を持った、あるいは画家たちよりかなり交流のある人たちが写真に入るのが、それ以降の時期より多かったこともある)、特に欧州では、絵画のほうの流れも少し頭に入れておかないと、欧州写真のボケ、ブレ、アレなどの需要の歴史が理解できないともいえ、

19世紀や20世紀、初頭の絵画の世界はどうであったか、今回は1860年ごろから始まった印象派の画家の話をしましょう。


まあ、こう書くのも一応日本の三文学者をちろっと見たとき気が付いたのは、海外での流れ=絵画のような表現を写真でも正当な手法として、ボケ、ブレ、アレなどを用いる運動(それ以外の技術的要因とかもありますが)が、ほとんど本質的なものが理解されないまま、言葉遊びで適当にごまかされているのが大部分だったからです。クリエーターに寄生して、評論家ごっこで、漁夫の利を占めたがる、大学などの無駄飯食い三文学者とかの駄文を有料で買わされるのは気の毒なのでw(大学の教員とか、精神が5ちゃんクラスの人は、減ったけどまだ珍しくなく、平気で海外の話を捻じ曲げたり、情報改ざんする人も無数 悪質マスコミと大差のない人も多数います まあ自分がバカだとわからないよう、とぼけたり、バカがばれないように沈黙するのも特徴的。一番不可解なのは、こうしたビジュアル作家は、作品から意図を読み取るのが本来なのに、文字資料から創作背景を探ろうという、読書感想文の変なアプローチをする学者ごっこ先生が多すぎ)

まあ、こういう人たちは、写真、ストリートフォトでも、ボケ、ブレ、アレ、とかあるいはコンプラ写真とか、作風分類ごっこをして、評論ご飯の種にしようという人が現在も見受けられますが、日本の、コンプラ写真(ボケ、ブレ、アレ批判が多かったので方針を180度転換したという邪推もある)とか、ボケ、ブレ、アレ写真も当時のカメラ毎日の、編集者山岸章二の仕掛けた、まだ当時は比較的影響力があったカメラ雑誌による、上からの押し付け流行な部分があるので(もっともらしいレッテルを張って、売り出させる)、それを文化の流れとか誇大に評価したり、あまり写真家たちを、分類ごっこの材料にするのはどうかね?

カメラ雑誌は文字紙触媒が席巻していた1960年代には、支配的なメディアで、特に写真雑誌の側面が強かったカメラ毎日に取り上げられることで、写真家デビューあるいはもうプロで活躍している人の売名に役立った。森山大道も、カメラ毎日に写真を持ち込んで採用されたことで、特集が組まれ、ようやく名実ともにプロ写真家として認知された 販売部数の多いこの時代は、カメラ雑誌が、はやりの写真スタイルを仕掛けることが可能だった


写真の発明後、長く敵視されていた、ボケやブレ、ソフトフォーカスを使った表現【美術の歴史とボケの歴史】クラインに先駆け、ボケ、ブレを写真表現に取り入れたプロ写真家たち


まあ、19世紀の写真家の中では、画家などの表現手法を学んだ人ほど、ボケ、ブレ、アレに肯定的に取り組んだので、

写真はパンフォーカス、シャープであるのが正当で、ボケ、ブレに魅力を感じるのはアマチュアである。写真においては、絵画のようなブレ、ボケは許されないという風潮が最も強かった、フランスでの、画家の流れを見ましょう。

フランスでも、アカデミー絵画は保守的なままでしたが、ロマン主義など新しく生まれた画風では、ボケやブレ、アレなどの手法を使い、人間の感情、記憶や、その場の雰囲気など、内面を絵画で表現しようという流れも出てきます。そのすべてがボケ手法を大胆に取り入れるというわけではなかったですが、ボケに関して、最も積極的だったのはロマン主義者の画家たち 彼らは主題以外をぼかすことで絵の中の距離感を表現、ブレ、アレに関しても、ロマン主義画家には写真と通じるものがある

ただ、ボケに関していうと、

ほかにも19世紀にフランスでは,

新古典主義

写実主義

1860年代から出た印象主義派

がありましたが、これらの画家たちは、ロマン主義派のような、写真でいうようなボケの表現には、消極的なことが多かった(ボケの表現に知識がないとは言えないのは、いくつかの作品に出ているが、できるだけボケを目立たせない方向で絵画を描くことも多く、写真でいうパンフォーカス的な作品が多かった)

印象派の開祖ともいわれるエドゥアール・マネ Édouard Manet(1832年1月23日 – 1883年4月30日))が、1863年ごろに書き上げたとされる初期に属する絵

Édouard Manet – Le Déjeuner sur l’herbe  『草上の昼食』エドゥアール・マネ 1862-1863ごろ製作 日本では著作権消滅

まあ、この絵は、当時はヌード絵画などは、神話の神や神の使徒を描くべきで、実物の人間をテーマにしたヌード絵画はモラルに反するとされていたので、批判を浴びた作品ですがw(そう、西洋で、古代からヌード彫刻や絵画が宗教画でも容認されていたのは、人間ではなく、神々や妖精の裸で、わいせつではないという話だったんだねwこの当時は、国営のサロンという絵画評議会がフランスにあって、そこで気にいられないと画家デビューがフランスでじゃむつかしかった サロンは民営化の1881年までに力を失い、画家として売り出すのにサロンに気に入られるという足かせはなくなって、多数の表現が生まれる)

1:かすかなボケ表現が背景にあるが、基本的にはパンフォーカスで、遠近部分がボケないことで画像が平面的に見える。これは新印象派や後期印象派になっても、遠近感を意識させない平べったさが表現の特徴なので、ボケは印象派の関心ではなかった

2:印象派の表現は、写真のブレやあれに通じる表現があるものがあるが、上のように控えめな場合も少なくない

同じ作者の、下の作品でも、ボケ表現は最小限に使われ、写真でいうパンフォーカス的な絵画ですね。ボケを否定することで遠近感がなくなり、立体感にかけた、平べったい描写が印象派絵画

エドゥアール・マネ Édouard Mane『テュイルリー公園の音楽会』Música en las Tullerías 1862年。日本著作権消滅

と、印象派の表現は、ボケは最小限にしか使わないので、この作風を見て写真に入った人は、同じように、ボケ否定で写真もパンフォーカスとやっていただろうね

と思わせるわけです

さて、マネが作品を出し始めた1860年ごろを起源にするといわれる印象派の画家たちの中で、

エドガー・ドガ(Edgar Degas、1834年7月19日 – 1917年9月27日)は、写真もいじっていたことで有名です

ドガの代表作は、

“Ballet – L’étoile”『踊りの花形』または『舞台の踊り子』1878年

写真の「荒れ」「ブレ」に通じる要素はあっても、ボケについては積極的というか消極的な利用ともいえるかも?

ドガのもう一つの作品

“Classe de danse” バレエのレッスン 1874年 日本では著作権消滅

ボケの表現を無視しているわけではないですが、極力ボケを抑えるパンフォーカス的な絵画 まあ、写実的に描かなかったという点で、写真でいうと、ピントずらしソフトフォーカス的な小さなボケとみることもできますが

さて、ドガは、写真に興味がありましたが、実際に自分で写真を撮影しだすのは、1895年になってからといわれます。乾板の登場で、ようやく写真が、アマチュアにも扱いやすくなってだいぶしてからの時期ですね。

ドガは、写真機を自分と友人や家族の記念撮影に使ったので、大部分は以下のようにぼかさないパンフォーカス写真なんですが

[Self-Portrait with Christine and Yvonne Lerolle] Edgar Degas ca. 1895–96

上の二名の女性は

ドガの友人のフランス画家、Henry Lerolle (3 October 1848 – 22 April 1929)の娘たち

さて、ドガは、絵の資料としても写真を撮影をしていました。ドガは、モデルに面倒なポーズをさせたがったのですが、長時間そんな格好をさせるのはかなりモデルたちから不評であり、それなら写真に撮っておいて、それを参考に絵を描くのが現実的と思ったからでしょう

Edgar Degas, After the Bath, Woman Drying her Back, 1896 ドガが絵画の資料として撮影したヌード写真

下がドガが上の写真見ながら作った絵

After the Bath, c.1896 Hilaire Germain Edgar Degas (1834-1917)

ただ、ドガは写真技術を喜んでたといわれ、1895年にJulie Manetという人は、

ドガさんは写真に夢中で、私たちを写真撮影のモデルにって、来週の夕食に招待したんです、「三分」ポーズするだけでいいのです。“M. Degas ne pense plus qu’à la photographie, il nous invite tous à aller dîner chez lui la semaine prochaine, il fera notre photographie à la lumière ; seulement il faut poser 3 minutes ; il a voulu voir si nous étions de bons modèles et a fait poser M. Renoir qui s’est mis à rire.(Julie Manet, 16 ans, 29 octobre 1895)

写真そのものを表現として利用したいと思っていたかは不明。あくまでも絵画を描く資料作成に便利な道具と思っていただけかも?

家族や友人たちの写真は、画家らしくポーズや衣装と明暗差にこだわりつつも、記念撮影として前から奥まできちんとピントを合わせたパンフォーカス写真ですが、

Edgar Degas, Two Dancers Adjusting their Shoulder Straps, ca. 1897. Public Domain 著作権切れ

下の写真は1895年ごろ、ドガが踊り子の写真を上の絵画作成用に撮影したものの一部

ドガの絵画作成用資料写真 著作権切れ

この写真は、ドガが絵の資料として撮影した踊り子の一枚ですが、ブレが見られますよね。

ただ、これを意識してドガが写真の表現として使っていたかは不明なわけです 当時の写真機の性能、たとえば、狭い部屋でピントが合わせきれなかったとか、

taken by Edgar Degas Public Domain

暗い部屋で露光時間が大幅に伸びたので、モデルが耐えられなくなって動いただけ

ともいえるからです。というわけで、ドガは、写真ではボケブレアレを積極的に取り入れたとは言えないでしょう。

ドガなどの印象派の画家たちは、ボケはあまり重視はしていませんでしたが、そうした作風を写真に取り入れたいと考えていた、特に1890ごろから盛んになり始めるピクトリアリズム(絵画主義)の人たちが、

どうやって写真でドガなど印象派の作風をまねるかといえば、印象派はロマン主義派の絵画と同じ荒い筆遣いが特徴なので、

撮影時の

ブレ

現像時の

アレ

プリント時の

ピグメント印画法

などが思いつきますね

さて、もう一回ドガの絵画、以下のようにボケ表現を知らなかったわけでないですが、ドガは積極的に大ボケを利用しなかったのも確か

Degas Edgar – Musicians in the Orchestra 1872 著作権切れ

写真家たちは、ピントくっきり隅々までシャープな記録手段としてではなく、表現手段としての写真を目指すものが初期からいて、特に19世紀はボケ、ブレ、を使って写真を絵画にちかづけようと熱心に西洋絵画から学びました。

印象派の画家も、当時の写真機はシャッター速度が遅いため、動く人たちなどが「ぶれ」るのを見て、それを作品に取り入れた。と、19世紀の画家と写真家は相互に学びあう関係が、特に欧州にはあったわけです


さて、ドガの友人であり、彼の絵を買い取るパトロンでもあり、自身でも絵をかいていたHenry Lerolle(3 October 1848 – 22 April 1929)の作品も見てみましょう 

彼自体は印象派、新古典主義者だか、写実派だか、どこのグループの作風を志向していたかは不明です

まあ援助していた画家たちの作風を、気分や要望に応じて変えたのでしょうが(この人はゴーギャンとかも付き合いがあった)

The Organ Rehearsal (1887) by Henry Lerolle

上の彼の代表作的なものは写実派志向ともいえますが、

Madeleine Lerolle and daughter Christine. Circa 1890 by Henri Lerolle

この作品では左側の娘の顔を意図的に不鮮明にする、印象主義風ですが、ロマン主義の描写をまねしたと思われる表現となっています。写真だとソフトフォーカスかな?

同時期のフランスの印象派画家、クロード・モネ(Claude Monet, 1840年11月14日 – 1926年12月5日)の作風とにてますね 顔のディテールもできるだけあいまいにする描き方

La Promenade, la femme à l’ombrelle散歩、日傘をさす女性 1875 by クロード・モネClaude Monet
『戸外の人物習作(右向き)』Monet, Woman with a Parasol, facing right, 1886年

写真でこの作風を表現するには、

粒子の荒れや、わざとピントを外すソフトフォーカスが考えられます

隅々までピントが合ってシャープな写真以外は、邪道とされてきた19世紀の写真で、写真で絵画風の表現ができないかというピクトリアリズムの延長から始まって、写真のボケ、ブレ、アレを表現として認めさせる流れが出来上がったのですから、

同時期の画家たちの作品を見てみるのも、特に画家と写真家の間が近いことが多かったフランスなど欧州の写真の流れでは、理解に役立つこともあるでしょう*もちろん、画家の画風以外にも、ボケ・ブレ容認の流れには、技術的、社会的な要因があるのですが、それは別記事で

ちなみに日本は明治時代、鉄道に食堂車が設置されたころのイラストですが、

成田鉄道の喫茶室 イラスト1903年 著作権切れ

ボケなんかはほぼ意識されていない作風 絵画のほうの動向も写真家に影響を与えたのは日本でも間違いないので、日本でもボケなどを生かす作風は明治には異端視されたのが現実でしょう。

横山大観(1868‐1958)は、ボケとブレにつながる横山大観「樹間の月」を1903-1904年に描いたとされますが

https://images.dnpartcom.jp/ia/workDetail?id=MFA27806

(横山大観の著作権は2009年に著作権切れ 2018年の70年延長の対象ではない)

当時は激しい批判を受けて受け入れられなかった

*日本では、写真を芸術の手段として用いるのはアマチュアとされ、写真家のプロ=商業撮影であるという文化があった。プロの写真芸術家の作品は売買するような価値のあるものとして広く扱うのは、1980年ごろ以降で、歴史の違いがある。

日本では1967年あたりから、森山大道、中平卓馬らが、ボケブレ荒れを前面にだした写真を展開しますが、欧州の流れとは異なり、反権力の表現手法としてボケブレ荒れによる写真表現を見ていたような感じが、特に中平卓馬には見られ、ブレボケが大手商業、特に国鉄の宣伝に盛んに使われるようになったのを見て、中平はボケブレ荒れ批判と否定に、走るようになります。


日本では、芸術としての写真を追求する人は、プロではなく、アマチュア写真家だとする風潮が1980年代ごろまであった:日本のブレ、アレ、ボケ表現の初期


See Rare Photographs Taken by Edgar Degas

Zuzanna Stańska 19 August 2021

DailyArtMagazine

https://www.dailyartmagazine.com/this-photographs-taken-by-edgar-degas-will-sweep-you-off-your-feet/

Daniel, Malcolm, with essays by Eugenia Parry and Theodore Reff,

Edgar Degas: Photographer

The Metropolitan Museum of Art. New York (1998)

https://www.metmuseum.org/art/metpublications/edgar_degas_photographer


日本では、芸術としての写真を追求する人は、プロではなく、アマチュア写真家だとする風潮が1980年代ごろまであった:日本のブレ、アレ、ボケ表現の初期

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